2024年04月23日
嶋 津与志(原案/脚本)&橘 祐典(企画/脚本)
「GAMAの闇の中の謎」 嶋 津与志(原案/脚本)
沖縄の戦跡地の山野には無数のガマ(洞窟)が黒い口をあけています。
中に入ると、今なおなまなましく、遺骨や遺品がごろごろしています。
1945年3月から沖縄の島々では日米最後の戦闘がはじまりました。鉄の暴風といわれた激しい砲爆撃は3ヶ月以上も続き地上の一切のものが破壊されましたが、日本軍は地下のガマにたてこもって抵抗を続けました。洞窟の中には一般住民も戦闘協力にかりたてて玉砕戦の道連れにしたのです。中でもいちばん辛酸をなめたのは子どもをかかえたお母さんたちでした。食べ物は底をつき、飲み水にも不自由するような暗黒の洞窟の中で、兵隊たちは子どもを泣かすと処刑するぞ、と銃剣をつきつけてくる始末です。やがて、洞窟は米軍に包囲され、地下の避難民たちの運命は風前の灯となります。その時、洞窟の闇の中では、信じられないような惨劇が発生します。
この映画は、わたしが20数年にわたって島々で聞き取りしてきた戦場体験者の証言をガマという極限の世界に再構築したものです。
ガマは闇の中に秘めてきた戦場の秘密を50年振りに語り出したのです。信じられないようなシーンがつぎつぎくりひろげられますが、これらはすべて体験者の証言にもとづく戦場の実相なのです。

「出会い」
橘 祐典(企画/脚本)
この映画の元となる演劇「洞窟(ガマ)」との出会いは1984年だったと思う。
東京池袋の小さな劇場で観たその芝居は、それまで少しは沖縄戦の事を理解しているつもりでいた私にとって強烈なパンチだった。
「集団自決と住民虐殺」を封じこめていたガマの深い闇にスポットを当てた嶋 津与志氏の台本は衝撃的ともいえるものだった。
同じ年、偶然私は、沖縄のプロダクション「シネマ沖縄」で記録映画を監督することになり、1フィート運動(沖縄戦に関わる米軍の記録映像を市民の手で購入し後悔する)が入手した膨大な量のフィルムを見ることができた。生々しい戦争の実相を伝える映像の中で、特に私をひきつけたのは、ガマから泥まみれで救出された少年で、痩せこけた体をガタガタと震わせ、怯えた表情でキャメラを見上げているカットだった。少年のまなざしは恐怖の体験を必死に訴えているように感じられた。
その少年との出会いが「戦場の童(いくさばのわらび)」という短編映画を作るきっかけとなり、嶋さんや海勢頭さんと一緒に仕事ができる機会を与えてくれた。台詞を書いてもらった嶋さんには、戦跡や基地を案内していただくと同時に、方言や習慣など様々なことを教えられた。「沖縄戦を過去のものとして描いては困りますよ」という言葉を心に焼き付けられた。
今回のシナリオ作りでも、その言葉を反芻して作業を進めたつもりだ。
それにしても、12年前、映像の中で出会った少年の無念の一部でも、「GAMA-月桃の花」で伝えることが出来ただろうか。

沖縄の戦跡地の山野には無数のガマ(洞窟)が黒い口をあけています。
中に入ると、今なおなまなましく、遺骨や遺品がごろごろしています。
1945年3月から沖縄の島々では日米最後の戦闘がはじまりました。鉄の暴風といわれた激しい砲爆撃は3ヶ月以上も続き地上の一切のものが破壊されましたが、日本軍は地下のガマにたてこもって抵抗を続けました。洞窟の中には一般住民も戦闘協力にかりたてて玉砕戦の道連れにしたのです。中でもいちばん辛酸をなめたのは子どもをかかえたお母さんたちでした。食べ物は底をつき、飲み水にも不自由するような暗黒の洞窟の中で、兵隊たちは子どもを泣かすと処刑するぞ、と銃剣をつきつけてくる始末です。やがて、洞窟は米軍に包囲され、地下の避難民たちの運命は風前の灯となります。その時、洞窟の闇の中では、信じられないような惨劇が発生します。
この映画は、わたしが20数年にわたって島々で聞き取りしてきた戦場体験者の証言をガマという極限の世界に再構築したものです。
ガマは闇の中に秘めてきた戦場の秘密を50年振りに語り出したのです。信じられないようなシーンがつぎつぎくりひろげられますが、これらはすべて体験者の証言にもとづく戦場の実相なのです。

「出会い」
橘 祐典(企画/脚本)
この映画の元となる演劇「洞窟(ガマ)」との出会いは1984年だったと思う。
東京池袋の小さな劇場で観たその芝居は、それまで少しは沖縄戦の事を理解しているつもりでいた私にとって強烈なパンチだった。
「集団自決と住民虐殺」を封じこめていたガマの深い闇にスポットを当てた嶋 津与志氏の台本は衝撃的ともいえるものだった。
同じ年、偶然私は、沖縄のプロダクション「シネマ沖縄」で記録映画を監督することになり、1フィート運動(沖縄戦に関わる米軍の記録映像を市民の手で購入し後悔する)が入手した膨大な量のフィルムを見ることができた。生々しい戦争の実相を伝える映像の中で、特に私をひきつけたのは、ガマから泥まみれで救出された少年で、痩せこけた体をガタガタと震わせ、怯えた表情でキャメラを見上げているカットだった。少年のまなざしは恐怖の体験を必死に訴えているように感じられた。
その少年との出会いが「戦場の童(いくさばのわらび)」という短編映画を作るきっかけとなり、嶋さんや海勢頭さんと一緒に仕事ができる機会を与えてくれた。台詞を書いてもらった嶋さんには、戦跡や基地を案内していただくと同時に、方言や習慣など様々なことを教えられた。「沖縄戦を過去のものとして描いては困りますよ」という言葉を心に焼き付けられた。
今回のシナリオ作りでも、その言葉を反芻して作業を進めたつもりだ。
それにしても、12年前、映像の中で出会った少年の無念の一部でも、「GAMA-月桃の花」で伝えることが出来ただろうか。

Posted by バヨリン弾き at 00:22│Comments(0)
│映画「GAMA-月桃の花」